”女子高生(古田順子)コンクリート事件詰め殺人事件”犯人の現在&顔&再犯総まとめ!

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1988年11月から1989年1月に”戦後最悪の少年犯罪”とうたわれた歴史上まれにみる残虐的事件がありました。この事件を風化させないために記事を作成しました。また、現代の方にもこの事件の全貌を理解していただき、二度とこのようなことが起きないように今一度、事件を振り返っていきたいと思います。

女子高生コンクリート詰め事件とは

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『女子高生コンクリート詰め事件』とは、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に東京都足立区綾瀬で起きた誘拐・監禁・わいせつ・略取・強姦・暴行・殺人・死体遺棄等が絡んだ事件の通称である。

この事件は、加害者及び被害者がすべて未成年であったこと。犯罪の内容自体も大変、重大で悪質だったこと。そして、長期に及んで少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間が救助を行わなかったこと。これらの点が重要視され、社会問題にまで発展した昭和最大の事件。

女子高生コンクリート詰め事件の概要

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【主な事件内容】

1988年11月25日、当時18歳の少年Aと16歳の少年Cは埼玉県三郷市内で17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致し、ホテルに連れ込み強姦した。その後、少年A、17歳の少年B、16歳の少年C、17歳の少年Dの4人で東京都足立区綾瀬の16歳Cの自宅に女子高生を監禁。

同日28日、17歳の少年E、16歳の少年Fも加わり、6人で女子高生を集団で強姦。その後もCの家の部屋で監禁、強姦、傷害など虐待行為を続けたのちに殺害。死体をドラム缶に詰め、そのうえにコンクリートを入れて遺棄。

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【事件詳細】

1988年(昭和63年)11月25日午後8時過ぎ、AとCは埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中にアルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった埼玉県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子さん(当時17歳)を見かけた。

するとAはCに対し、「あの女蹴れ。あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りにバイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴り、角を曲がって様子をみていた。

順子さんはバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。そこへAが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。俺も脅された。危ないから送っていってやるよ」と言って近くにある倉庫の暗がりで脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。

午後10時頃、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子さんを連れ込んだ。この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCの1つ上の兄がいた。

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11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って呼び出されたEとFが加わり、家人が寝静まった深夜に順子さんを輪姦した。順子は必死の思いで抵抗した。

階下の母親は目を覚ましたようであったが、順子さんは顔面を寝具などで押さえつけていたため、叫び声を上げることはできなかった。

11月30日午後9時頃、Cの母親はこのとき初めて順子さんの顔を見る。母親はCに対し「早く帰しなさい」と言った。だが、1週間経っても順子さんが家にいることに気づき、直接、順子さんに「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。

また、少年たちは順子さんに自宅へ電話をかけさせ「家出しているから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。しかも一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、順子さんの親は家出だと思っていたという。

その後も昼夜関係なく順子さんの体を弄び、そのあまりの暴行に順子さんが気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させていたという。そして、また犯すということを繰り返していた。その間交代で見張りを続けた。

12月初旬の午後4時ころ、順子さんは少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。だが、運悪く近くで寝ていたAに気づかれてしまった。すぐに逆探知で警察からかかってきた電話にAが出て「なんでもない。間違いです」と返答したという。

AとBは、このことをきっかけとして、順子さんに対し、手荒いリンチを加えた。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。また、時にはシンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませるなどして楽しんでいたという。

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12月5日に東京・東中野駅構内で電車の追突事故が起きた。Aは順子さんに「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。お前見たか」とからかい、順子さんは不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。

こんな調子でA、B、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的にも順子さんを追い詰めていった。12月10日頃に順子さんが「家に帰りたい」と言い始めた。すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子さんは「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。

それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。

12月月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。果てしなく続く殴打によって順子さんの顔面が無惨に腫れあがり、凹凸のない別人の顔になったのを見て、「なんだお前、でけえ顔になったなあ」誰かが言うと、また笑い声がした。暴行がエスカレートするのにともない、順子さんに与えられる食べ物も雑になっていった。

それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本。酷い時にはパン1枚与える程度になっていった。トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。

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Cの両親は異常な気配に気づいていた。両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れていたため、2階の物音には耳を塞いでいた。順子さんはリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。

全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。Aはその「臭いが嫌だ」と言って寄りつかなくなった。少年たちはそんな状態になった順子さんを見て、持て余すようになっていた。だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと死んでくれればと願うようになる。

順子さんがいないところでこのような会話が交わされていた。「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか?富士の樹海で首吊りでもさせますか?」笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶしといういった感じだったという。

1988年(昭和64年)1月4日。監禁から41日目の午前6時半頃、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていたという。その腹いせとしてAは順子さんをその対象にした。BとC、そしてDの3人は順子さんの火傷の臭いを嫌ってDの自宅でゲームをしていた。AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘ってCの自宅の2階に上がった。

小泉今日子さんの『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて順子さんは、3人に次々と殴られて鼻や口から血を流し、血だらけの状態に。

ロウソクに火がつけられ、順子さんの顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、順子の肩や足にパンチを浴びせた。

やがて、順子さんは身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。Aは1.7㎏もある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、は順子の腹に落とした。Aが暴力を振るうとB、C、Dがウケを狙って、面白半分に暴力をエスカレートさせた。Aはリンチの途中で順子の死を意識したという。

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午前10時頃、リンチが終わった。Aは順子さんが逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにし、4人はサウナに出掛けた。翌日朝、死体の処理に困った少年たちは死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。

セメントは、Aが以前タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。午前8時頃、ドラム缶を海に投棄しようと江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが恐くなってしまい、その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまったという。

少年らはこの事件の直前にも…

実は、少年たちは”女子高生コンクリート詰め事件”の発端である1988年(昭和63年)11月8日の数時間前にも事件を起こしていたのです。

11月8日の夕方頃、AとBとCの3人が足立区内で自転車で帰宅中の当時19歳の女性(順子さんとは別)に声をかけ、3人で輪姦した。このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。

逃げられないように常磐高速道路に入り、「少年院を出てきたばかりだ」「大洗(おおあらい)に行こう。大洗の海は寒いし、波が高いぞ」などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。

犯人の名前と顔&現在(再犯など)を調査!

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人の子とは思えない残虐な犯行を繰り返し、己の欲のままに生きてきた犯人の現在の姿を一人ずつ紹介します。

少年A【主犯格:宮野裕史(旧姓)】

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宮野裕史は、現在、関西の篤志家(とくしか)と養子縁組し、『横山裕史』に改名。

1970年4月30日生まれの横山裕史は中学時代、柔道の選手として実績があった。高校は中退。見習いタイル工として働き始めたが、その後、暴力団と仲を深め半グレ集団を立ち上げた。身長160cmと小柄だがガッシリとした体格。

懲役20年の刑を受け千葉刑務所に服役していたが、2008年に出所している。その後、2013年1月10日に再犯(詐欺容疑)で逮捕されている。

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パチンコ必勝法の情報料名目で現金を騙し取る振り込め詐欺で 2013年1月10日に口座の所有者だった 宮野裕史(当時42歳)は逮捕された。

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少年B【サブリーダー:小倉譲(旧姓)】

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主犯格・宮野裕史の右腕だった小倉譲は、身長180cmを越す長身。日本での生活は難しいと思った小倉譲は中国人女性と結婚。養子縁組となり、旧姓(小倉)から神作へ改名した。そのまま中国へ移住を考えていたが、離婚。

1971年5月11生まれの神作譲の家庭環境は、両親が別居するなど恵まれていなかったという。私立修得高校も中退し、横山裕史と共に事件を起こす。裁判では5年~10年の不定期刑が確定し、1999年8月3日に出所。

その後、神作譲は2004年6月に埼玉県三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯し、逮捕されました。

【小倉譲の発言】

●「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ。」

●「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる。」

●「(女子高生コンクリート詰め事件)アレはマジで楽しかったなあ。」

●「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。」

【再犯するまでの年表】

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少年C【湊伸治】

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1991年7月、湊伸治に下された刑は懲役5年以上9年以下の不定期刑。出所後、プロボクサーとしてデビュー。しかし、観客からは「コンクリ、コンクリ」と事件を指す呼び名でヤジられていた。あまりのブーイングと不人気により引退。

その後、2018年の8月に埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。